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バケモンの涙 感想 ネタバレなし

 


 

 

 : リツさん
 

コロナ禍の現在と重なる
 
  以前、歌川さんのブログで「いとはんのポン菓子」を読み、こちら でも充分に良いものがどんな小説になったんだろうという期待で読 み始めました。 私がブログで感銘を受けた場面はそのままで、描かれていなかった 部分にもこんな背景があったのだと更に深く丁寧なものでした。
作品中の戦時下の状況が、私が感じたコロナ禍の現在の不安感や閉 塞感と重なり、作品の場面の片隅に自分もいるような気持ちに何度 もなりました。

トシ子さんが世間知らずのお嬢様育ちである事を実感する場面が何 度もありましたが、その世間知らずがゆえの純粋さがポン菓子製造 機を作ることができた要因の一つではないかと、当時のトシ子さん の母親世代になった私には思えました。

歳をとると、世の中の流れにのり、逆らわず、こんなものだ。と何 も疑問に思わなくなってしまった人は多いのではないでしょうか。
また、自分の想いを貫くのだという気持ちがあっても、上手くいか ない現実に何度も直面すると次第に「一念」も薄れ、いつの間にか そのままにしてしまった人も多いと思います。
トシ子さんの世間知らずなくらいの純粋さが、戦時下の苦しい現実 を生きるのに精一杯だった大人たちの心に強く響いたのではないで しょうか。

トシ子さんの言葉は、私自身にも向けられているように感じられ、 今後、自分が流れにのっているだけだなと思った時はこの本を読み 返そうと思いました。

この作品を知らない人たちにも、歌川さんの込めた想いにより多く の人たちが触れて欲しいと思います。
この作品に出会えて良かったです

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。現在のコロナ禍の閉塞感と重なると感じていただけたこと、非常に嬉しいです。現実をしっかり見ることと、よけいなものに振り回されないことは、両輪でありながらも、両方回していくことは難しいですね。確かに、純粋さがあってこそのことだったのかもしれないと改めて思いました。
 

 


 

 

 : 青葉時雨さん
 

応援せずにはいられない
 
  全編通して、登場人物の躍動感に圧倒されました。読み進めるうち に、トシ子さんもヤヱさんも立体的な姿になってくるのです。

ですから、空襲の描写のところも戦争を経験したことはない私にと ってもとても恐ろしく感じたのです。

そんな戦争のさ中で、自分の想いを葛藤しながらも成し遂げていく 、トシ子のひたむきさは清々しくもあり、応援せずにはいられない ものでした。信念というのは、周りの人間のかたくなな心も溶かし 、応援団に変えてしまうという力を持っていることを再認識させら れた物語でした。

悲しいストーリーもありましたが、読後感は爽やかな感じで、よし 私も頑張らなくてはと勇気づけてくれた本でした。よい本をありが とうございました。

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。トシ子さんの応援団になっていただけたこと、非常に嬉しいです。トシ子さんの「本気」をどこまで伝えられるかに勝負をかけたような作品なので、ご感想を拝読してとっても安心しました。
 

 


 

 

 : chizuredさん
 

戦争は終わっても
 
 今年は本当に色々なことがあり、今日ようやく読むことが出来ました。読み始めてからの4時間は、あっという間でした。

トシ子さんの視点から一人称で進む物語は、方言と戦時下には普通に使われていた言葉により、登場する人達の性格や時代背景がスルスルと頭に入ってきました。先へ先へ夢中になれる文章です。
夢中で先に進んでゆくと、衝撃や悲しみに涙が出ます。涙で読み進められなくなったら、一呼吸して、お茶を飲み、涙を拭いて読み進めました。

教え子のマサ子ちゃんを助けに走ったトシ子さんは、戦闘機の操縦士の顔が見えるほどの危機に晒されるのですが、戦争の恐ろしさを一番感じたのがこの空襲の場面でした。
この操縦士にも家族は居るでしょうに、小さな子供と若い女性をニヤつきながら襲撃出来る精神になってしまう、人の命を奪うのに抵抗がなくなる、感覚が麻痺してしまうのか、正常な精神が崩壊してしまうのか…
この操縦士のニヤリの描写の後に、さっきまで助けを求めていた人が焼けてゆく様を見て、惨さに身体も思考も固まりながらも、逃げようとして、焼けゆく母子に手を合わせた直後に、近くに落ちた炸裂弾の爆風で飛ばされて…

自分も身近な人や親しい人も親族も、人間が作った物を人間が使って命が奪われる。生きていたとしても、食べるものが無く、命を落としていく。そんな絶望の中でも、トシ子さんの子供達のためにと、出来ることを見つけて、もがきながら行動する強さを尊敬します。

財力のある家に生まれ、聡明で賢く、人の縁にも恵まれていたけれど、トシ子さんが家族や出逢う方と正面から向き合い、相手を想い、自分のためでは無く、子供達に食べ物を!の強い信念があったからこそ、縁が大きく広がり、穀類膨張機の完成から、全国への販売までに繋がっていったのだと感じました。

作中に空襲での死者数が何度も出てきます。トシ子さん達のように、大切な方の死を胸に抱え、悲惨な惨い情景を脳裏に焼き付け、悲しみだけでは無い様々な感情を持って、今の日本にしてくれたのだと思うと、また涙が出てきます。

私はたぶん今の日本の中ではいわゆる底辺と言われる部類です。離婚して養育費も払われなくなり、でも働ける身体があるんだからと、母子扶養手当を貰わないように、ガムシャラに働いて、自分の収入で子育てして、子の大学費用は教育ローン借りて、今は返済中で贅沢とは無縁です。それでも、毎日シャワーを浴びることが出来るし、食べることも出来るし、布団で寝ることが出来ます。美味しいアイスが特売で100円以下で手に入り、読みたいと思う本を購入し、お茶を飲みながら、何かに怯える事なく、読むことが出来ます。

トシ子さんのような、人のために苦難を乗り越えられて、成し遂げた方々のおかげであり、多くの方々の犠牲の上に、今の日本があることを改めて考えることが出来ました。
今の自分の状況など、バケモンの涙のどの登場人物の方に比べても、小さいこと!と、読み終えた後に思えました。振り返ってみれば、私はいつも辛い時期に、繰り返し読みたいと思える作品に出会います。今回は、歌川さんのバケモンの涙に励ましていただきました。
出来ることなら、トシ子さん達のその後も読みたいと思います。その位、魅力ある方々でした。

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。たいへんなご苦労の中であっても違う時代の人々の気持ちに思いを馳せるお姿に、トシ子との共通点を見た気がしました。イエール大学の研究発表によると、そんな人こそ逆境を乗り越えていきやすいそうです。どうか、お体にだけは気をつけて、幸せな未来を築いてくださいね。
 

 


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戦争ものというのは読む時期を選ぶ。 メンタル弱ってると辛い。 メンタルましだと、違うことしてしまう。 で、読み損なうことも多々ある。 今回はブログで見た記憶があったのと、 感想の締切間近だったんで。 今日はなにもしないをする日にしたことも大きかった。で、ハンモックに寝そべりながら読了。 これはご縁の話だなと思いました。 けれど初めから主人公が、縁に恵まれてたわけでもない。 目の前で飢えて亡くなる生徒たちを救いたい、その一念で切り開いたもの。 彼女の一念は、幼いながらもありとあらゆる人の助けを受け、やがて念願成就する。彼女という糸が、人と人を繋げていくお話なんだと。 登場する女性が、皆たくましくて。戦中のあらゆる障害に翻弄されながらも、強く生きている。そんな女たちがトシ子の一念に打たれ、やがて手を取り導いてくれる。 トシ子だけでは叶わなかったし、けれどトシ子なしでは叶わなかった、ポン菓子製造機を作ろうという夢。 職工さんたちを集めた中、最後のツタ代さんの一言に、思わず声上げちゃいました。まさにあの時、あの席に私もいました。 途中何度もグッと涙がこみあげましたが、読後感はとても良かった。トシ子と共に成し遂げた気持ちになれました。 うたさん、素敵なお話をありがとうございました。読み応えありました。 ありとあらゆる朝ドラを思い浮かべながら読みました。是非朝ドラにして欲しいなー(笑) #バケモンの涙 #歌川たいじ

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歌川たいじ:
ありがとうございます。たしかに、ご縁の話ですね。私自身、たくさんのご縁に助けられてここまで生きてきましたので、ご縁というものを大事にしていこうと日頃から思っていまして、それが作品に現れたのかもしれません。新しい発見をしていただけましたこと、非常に嬉しいです。

 


 

 

 : MFさん
 

母は東京大空襲の経験者です
 
作者と同年代、そして面識があるので、作品にも作者の想いにものめり込みました。。
考えてみれば、知っている作者の本を読む経験は数度しか無く、いつでも彼らを通して作品を読むと言う貴重な経験になります。


母は東京大空襲の経験者です。9歳の子供が、姉と弟と逃げ惑った話しを聞いています。火の中を走り、川に流れてる物を横目で見ながら逃げたそうです。何が川にあったのかは、未だに教えてもらえてません。。
ポン菓子を食べた事もあるし、自分の体験や戦争への想いが重なり、母として、共感する子供達への情や守る気持ちに涙しました。。近年まで徴兵制度があった国で、息子を育てた私の実感です。


戦争は嫌だ。人の生活を脅かすものは駄目だ。強い思いは人を救う。自分らしく生きる事は大事だ。
今、この時代にこの本を読めた事は、素晴らしいタイミングだと思います。同世代としての責任も感じます。


歌川さん、この本を世に送り出してくれてありがとう。

 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。敗戦から75年が経ち、戦争を知らない私にできることはなんだろうと考えたとき、とにかく、遺してもらったものに触れることだと思いました。その思いの中から、ひとつ作品を生み出せてよかったと思っています。そんな思いを共有していただけて、非常に嬉しいです。ありがとうございます。
 

 


 

 

 : カイエさん
 

ばけもんの涙 かいぶつの涙
 
 初めてこのタイトルを見たとき「どうしてまたバケモンだなんて」と思った。一緒に紹介されているあらすじを見てなおさら。戦時下の食糧不足をどうにかしようと奔走したこの女性のことを指しているのかしら?もっと他に無かったのかな、なんて。
 
 日本国外に住む私はこのコロナ禍による郵便事情の混乱を考慮し電子書籍で購読した。実在のモデルがいる「トシ子」の一人称で語られるこの物語は、彼女の優しく真摯な視点で描かれていてとても読みやすい。登場人物たちの表情がとても生き生きと浮かぶ感覚は、他でどなたかも評していたが、まるで朝の「連続テレビ小説」を観ているようなのだ。情景と登場人物の話す様子や行動がTV画面のようにくっきりと浮かび暗く厳しい時代背景ながらも時折散りばめられたユーモアのあるシーンにホッと救われる思いがする。
 
どうして「バケモン」なのか。さらに「涙」とは。
 
それはプロローグですぐに明かされる。しかし。時々描写される「怪物」。たとえば誰にも止められない状況の悪化。さらにそれは子供たちの深刻な飢えであり、悪化の一途をたどる戦局であり、空襲の火に焼かれ目の前で死ぬ人々、トシ子をを阻む世間の常識という壁など様々。抗えない巨大な渦のようなものに飲まれ誰もが慟哭した時代。それらを総じて「バケモンの涙」であると。
読了した今は、これ以上のタイトルが思いつかない。
 
 主人公トシ子は時々「自分らしさとは何か」という課題に思いを及ばせる。現代的に思えるテーマで、今を生きる私達一人一人にもそれは問いかける。自分が、家族が、子供たちがどうにか死なないようにということだけで必死だった当時は無我夢中で、実際には立ち止まり考える余地も無かったのではないのか。子供たちを少しでも飢餓から救えるのなら「自分らしさ」なんてそれこそバケモンに喰われても構わない、そんな気迫がトシ子から伝わる。
 
 それでも本来なら自分を有利にさせるはずの「ええとこのお嬢さん」という立場に、時に打ちひしがれ、時に計画の実行を妨げられる。自分の出自や性別について嫌でも思い知る場面にぶつかるのだ。ただし「ええとこのお嬢さん」であったからこそ初動の条件が整ったという背景もある。この両方を内在させトシ子は果てしなく高い山に思える目的の達成に向かっていくのである。

 多くの人にこの作品を読んでほしい。第二次世界大戦がもたらしたものは。残したものは。英雄たちの哀しく美しい話ばかりではない。飢え、病み、苦しみながら死んでいった子供たち、生きながら焼かれこと切れた人々。優しい人も可愛い人も血と涙と焼けた脂肪のあぶくを流しながら、出口の無い熱い釜のような大きなモンスターの胃袋の中でその命を失った。日本中誰の身にもそれが振りかかる可能性があった、そんな日々が本当にあった。そしてその地獄の真っただ中から後の世のことまで考え命懸けで奔走した勇気ある若い女性がいたことも知ってほしい。
 
 ポン菓子誕生には、こんな歴史があった。 こんどどこかで見かけたら買って帰ろう。噛みしめながら思うんだ。これは、ばけもんの、なみだ、だって。


 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。タイトルに関しては、実は出版前に賛否が分かれました。お察しの通り、トシ子さんが立ち向かったとてつもなく大きなものをイメージとして作品の顔とすべきと思い、このタイトルになりました。そんな思いも受け止めてくださって感謝します。
 

 


 

 

 : Mさん
 

大日本帝国末期の二の舞にならぬことを願う
 
八尾市のツイッターが取り上げられているのをみて何事かと思いましたが、まさか主人公の出身地龍華町が現在の八尾市の一部で八尾市にゆかりのある人だと知り、福岡ではなかったのか、龍華町とは八尾市なのかと混乱しました。

「ポン菓子」と聞いて今イチ頭に浮かばなかったので検索を掛けてみたら丁度調教に旅行に行った時にお土産にと「雷おこし」を買ってきたので、その先駆けの人に関する作品と親しみが持てました。

大阪生まれの橘トシ子が福岡で成功した理由は広島を越え福岡で踏み止まった偶然もあるでしょう。福岡に落とされる予定だった原爆が長崎に落とされた偶然もあるでしょう。

最後の終戦振り返り。戦後立ち上がった人を描いたはずなのに、なぜ戦中の混乱を潜り抜けた苦労話で終わったのか。

「戦後で、戦中に勝る困難はない」
「ダラダラと長引かせたくはなかった」
なのでしょうか。その辺りが今一つ伝わってきませんでした。
やはり凡百の「女の幸せ」が物語としての終わりなのか、と一抹の不安が過りました。

くれぐれも本作がB-29相手に竹槍で挑もうとした大日本帝国末期の二の舞にならぬ事を願います。

 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。物語というのは、読む人によって様々な解釈があるものですね。それでも、戦争という悲劇を繰り返さぬようにとの願いは受け止めてくださって嬉しいです。
 

 


 

 

 : はまさん
 

大切な思い出
 
外を歩いていると何やら美味しそうな物を頬張る友人に出くわした

「何?」


近所の広場には、時おり紙芝居のおじさんがやって来て、型抜き、梅ジャムを挟んだせんべいや水アメを売りに来る。足早に行ってみると見たことのない不思議な機械が存在感を放っていた。モーターのような先に長方形の長い金属のカゴが着いていて、その中には白くてふわふわした物が入ってみえた。


近づいてみる。


「あっポン菓子だ」
出来立てのポン菓子はホカホカと湯気がたっていて何とも美味しそう。
目をキラキラさせて興味津々の私に向かっておじさんが「少しのお米と砂糖と100円持っといで」と声をかけてきた。その言葉をきいた私は一目散に走って家へ帰り母親に一部始終をしどろもどろになりながら身振り手振りで必死に伝えた。早く行かねば、おじさんが居なくなってしまうような気がして、母親を急かして必要な物を揃えてもらった。とにかく急いで戻るとおじさんはちゃんと待っていてくれて、私が持ってきた材料を受け取り早速ポン菓子作りにとりかかってくれた


ワクワクしながらじっと見守っていると「いくよ!」とおじさんからのかけ声
金属の棒のようなもので、機械を叩いた瞬間「ボン!!」
あまりの爆音に驚いてしまったが、気がつくとカゴの中には膨らんでたくさんに増えたポン菓子が湯気をたてて出来上がっていた。


まるで魔法みたい…


温かくてほんのり甘くて、あまりの美味しさに口いっぱいに頬張った。
今でもあの時の香りと味と感触は忘れない。
私の幼き日の楽しかった思い出
今はオレンジ色の人参型の袋に入れられて売られているけれど
見るとあの時のポン菓子をいつも思い出す。


「バケモンの涙」を拝読するまで、機械の事、ましてやどのような経緯で作られたかなんて考えた事もなかった。
戦争で飢えている子供達を救うためにポン菓子製造機が作られた事、その為に人生をかけた女性がいた事。
その方の名前はトシ子さん。
幾度となく押し寄せる苦難を乗り越えて、ポン菓子製造機を作るまでのお話。実在されていて今もなお製造機を世界中に届けていらっしゃる。
是非とも多くの方にこの本を通して知って欲しい。
幼き日の私に笑顔と美味しいポン菓子をお腹いっぱいに食べられる喜びを与えてくださって本当に本当に有り難うございます。


「バケモンの涙」に出会えた事
心から嬉しく感謝申し上げます。

 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。身近なものの起源や歴史をなにかの拍子で知ると、意外な感動が隠れていることもありますよね。日本でのポン菓子製造機の発祥を知ったときの感動を共有できて、非常に嬉しいです。思い出のおすそ分けをありがとうございました。
 

 


 
歌川たいじ:
有難うございます☆ この物語を書くにあたって、もっとも伝えたかったことをまっすぐに受け止めてくださった絵日記、感激しました☆ 57さんテイストのトシ子さん、カワイイです。
 

 


 

 

 : 猪鹿蝶子さん
 

考えてみれば当たり前のこと
 
読みやすい文体の中に、さまざまなものが込められていた。
「自分らしさ」とは、「本気」とは、「戦争」とは。
 
この話は、戦争を悲惨で悲しい物語として伝えているだけではない。 国全体が災禍に覆われる中、その中で、どう生きるべきか、どのように命・人生を輝かせていくのか、そこに不可欠なものはなにか、重要な示唆がある。
 
考えてみれば当たり前のこと。 でも、すぐに見えなくなってしまうもの。 本書を読めば、それがわかると思う。 やさしいユーモアに満ちた文体で、子どもから大人までが。楽しみながら。涙しながら。
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。私も、トシ子さんにさまざま大事なことを教わりながら書きました。共有していただいて、嬉しいです。
 

 


 

 

 : たっちいさん
 

戦争からは何も幸せは産み出せない
 
  私などの世代、戦争といえば第二次世界大戦。
今まで見聞きし、歳を重ね、感じていること。
それは戦争からは何も幸せは産み出せないということ。

やっとそんなふうに想像できるようになったと思う。
戦地に向かうことも辛く。
見送った家族も辛く。
残された場所で生きることもまた、地獄だった時代。
目の前にいる教え子が生き絶える姿を見て、トシ子の心は揺さぶら れていく。

主人公もまた、厳しい現実の中にいながら、大きな望みを糧にポン 菓子機の製造に突き動かされるその姿は、きっと誰にも止められな いほどの力強さだったに違いない。
女性というだけで、認められにくい時代であるというのに。
戦中戦後の苦しい時代、たくましく生き抜いてくれたおかげで、子 どもたちに笑顔が戻り、日本が復興していったのでしょう。

不安定な今の世の中であっても、元に戻ることのないように。
子どもたちも年齢を重ねた人々も安心して暮らせる社会につながっ ていきますようにと願いながら。
75年前に失われたたくさんの命に手を合わせて祈りたい。

 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。本当に、戦争から幸せは産み出されませんね。戦争が生きている人々の心をどうしてしまうのか、表現したくて、その思いをサト子さん母娘のエピソードに込めました。突き進んでいくトシ子の近くに、そんな世界があったのだと。平和への祈りにつなげて読んでくださって嬉しいです。
 

 


 

 

 : ちっちょさん
 

トシ子さんの故郷・八尾から
 
 
バケモンの涙 読ませて頂きました
感想文なんて書くん めっちゃ久しぶりやわ
 
歌川さんのコミックエッセイのファンで
毎日 読ませてもらっています
 
本も 「やせる石鹸」「母さんが僕をどんなに嫌いでも」「花まみれの淑女たち」
を読んでいました
ここまで読んでいた感想が
なんとなく 中島らもちゃんを思い出すなぁ~ でした
 
でも バケモンの涙 は全く違います
きっと 実話 だから
会話の中の言葉が 大阪弁「河内弁」 と 北九州の言葉が
スルスルと頭に入ってきました
思わず言葉に出して音読してしまいましたよ
 
それは 私が 今八尾市に住んでいる 
そして 結婚して 八尾市に引っ越すまで
兵庫県の尼崎に生まれ育ったからでしょう
生まれも育ちも関西やからね
 
八尾市龍華町も 久宝寺のお寺も 近くにあって
主人公の方が過ごした街の土地が身近であり
阪神工業地帯のど真ん中にある尼崎の風景が
北九州の製鉄所がある地域と重なったりと
時代こそ違うけれど 小説の中の景色がどんどん広がりました
 
この小説 実写化(アニメ化)したら 
絶対 河内弁そのままやって欲しい
その後の主人公も描いて欲しい
この話 野坂昭如の 蛍の墓 こえるよ 
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。出版する際には大阪・八尾や北九州の方々にどれだけ受け入れてもらえるのか、すごくドキドキしていました。ご感想を拝読して、ほっとする思いです。確かに、いままでの私の作品とは少し違いますね。この作品を書いていて、新しいエレメントを得たような気がしています。これからも頑張りますね。
 

 


 

 

 : キャロルさん
 

亡き母が語った太平洋戦争
 
 
子供の頃、母の話を聞くのが嫌だった。
繰り返し何度も何度も語られる長い戦争の話。
何のきっかけも無く突然話し始める。
激しい口調で、さも目の前で起こっているかのように空襲の惨状を 語る母が鬱陶しくて 話が終わると後味の悪い言いようの無い重たい感情に満たされた。 どう受け取って良いのか分からず、身を固くして聞いている振りを しながら心ではうんざりしていた。
子供だから「戦争」は理解できなかった。
子供ながらに空襲の過ぎた後の光景を頭の中で想像して気持ち悪か った。
何であんな嫌な話をわざわざするのだろう?
母の戦争体験談は老いて亡くなる間際まで続いた。

バケモンの涙で空襲の描写を読んだ時、久しぶりに母の話が蘇った
空襲警報、防空壕、燃えていく赤ん坊、大切な家族や友人の焦げた 身体…
トシ子とほぼ同年代の母が見たものは同じだった。
ほぼ同じ言葉で語られていた。
実際に本当に起こった事だったのだ、、

母は祖父の衛生兵の仕事を手伝いながら戦禍を生き延びたそうだ。
「ゲートル巻ってこうやるんだよ」と母に教わったこともある。
戦後は子供達を集めて神社で幼稚園の先生をしたそうだ。
お弁当を持ってこられない子の話を聞いたな。

トシ子のような思い切った活躍をした訳では無いけれど、あの時代 に母も必死に戦争を生きた。
そして戦争はしてはいけないと必死に語り継ごうとした。
この本を読んで、これからは私たちが伝えなければいけないんだな …と改めて気付かされた。
文体が柔らかく温かい文章で綴られている中、殊更、戦争の悲惨さ は伝わる。
トシ子の活躍に、生きていれば93歳の母を重ねて読んでしまった

今、この歳でこの本に出会わせてくれてありがとう。
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。この話を書くにあたっては、動画や本や新聞記事など、あわせて300名以上の方の戦争体験談、とりわけ空襲と飢餓の体験を見たり聞いたり読んだりしました。キャロルさんのお母様のお話も聞きたかった。
キャロルさんのご感想を拝読して、太平洋戦争を語り継ぐひとりになれたような気がしました。ありがとうございます。
 

 


 

 

 : 文絵さん
 

 失ってよいはずがないものが書かれている
 
 
物語は、実在する吉村利子さんという、穀類膨張機の開発と普及を 成し遂げた、「凄い女性」のお話ですが、少し読み進めれば、「 この人スゴいでしょ」でまとまる話じゃないという予感がありまし た。予感は保たれ、ドキドキワクワクと共に、 心はほぐれて温まりながら、涙も流れ続けていました。

物語には多くの、「挑戦の痛み」「大切な存在を失う痛み」があり 、戦時中という説得力をもって、現代の痛みを抱いた、私の心に重 なってきて、読むほどに励まされていました。
どれほど終戦から遠ざかろうとも、失ってよいはずのない、大切に すべき、心の在り方、人間らしい情熱が、絶え間なく描かれ、読み 終えるまでの時間は深いありがたみを感じ続けていました。

読んだ人の数だけ、受け取り方が異なるでしょうし、もし「人生は 安定こそ大事」「母性に欠けた自分にコンプレックスを感じている 」ような方が読めば、軽んじられそうな、素朴で純粋なトシコの在 り方が、私には魅力そのものでした。
トシコは、歌川さんが描写しているとはいえ、「歌川さんらしい! !」と感じられ、歌川さんがトシコを通して、共に現代を生きる人 たちへの、「メッセージ、教育、保育」のように見受けられ、私は しっかり抱きしめて生きていきたくなりました。
歌川さんが戦時中にトシコのような生い立ちを生きておられたら、 やはり成し遂げておられただろうと想像します。
文章には、常にエネルギーが溢れていて、終始励まされました。「 ありがとう。私も生きることを頑張りたい。生きたい。」が、繰り 返し私の中に響きました。

「編集部」の方の言葉が書かれた最後のページまで、漏れなくあり がたい、温かい気持ちになれる物語はそうあるものではないと思い ます。
令和2年、新型コロナ発生の年の6月、この世に産まれてくれた一 冊との出会いが嬉しいです。
トシコに出会えて嬉しいです。
歌川さんが「多くの人に出会ってほしくて、 心血注がれたんだ」と私は想像します。
誰かの人生の豊かさのために読んでほしくなりますし、私の人生の 栄養としたい想いを、細く長く通していきたいです。

ご執筆とご出版、本当にありがとうございました。
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。トシ子さんが自らの半生を語るのをラジオで聞いた時、日本中で共有すべき話だと強く思いました。トシ子さんとは次元は異なりますが、戦時中の資料を求めて大阪や北九州に何度も飛んでいってしまったのでした。ひとりの本気というものは、時間や空間を越えて誰かに伝わっていくものだなぁと感じながら執筆しました。そんな思いも受け止めていただけて幸甚です。
 

 


 

 

 : サンダルさん
 

  この国はどんな国になっていくのでしょう
 
 自分が最も印象に残った一節は、終戦間もなくの主人公の「この国はどんな国になっていくのでしょう」という問いかけである。
 
敗戦直後、人々は生きていくだけで精一杯だったかもしれないが、日本をいい国にしていきたいと考えていたはずである。だからこそ必死で働き続け、経済成長を成し遂げたのではないだろうか。
なのになぜ、いまの日本はこんな国なのだろう。経済は衰退し、格差は広がり、貧困者は増え続けている。若者はほとんど夢を見られない。
新型コロナ禍は世界中に打撃を与えたが、それでも凜として立ち向かった国は多々ある。日本は政治家が利己に走り、国民は真実を知ろうともしない人も多い。
 
トシ子さんの生き様を拝読し、どんな時代であっても希望を持って生きていられるのは、「自分らしさ」を見失わない人、「自分らしさ」を探しつづける人かもしれないと感じた。時代が変わっても、それは変わらないのかもしれないと。
 
そんな気づきを得て、これからの生き方を考えるきっかけになった。著者に感謝します。
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。明るいニュースがない年になり、気が滅入ることが多いですね。特に政治関連のニュースは、思わず怒りが湧くこともあります。私もトシ子さんに気づかされたように、「自分らしさ」を見失わないためにはどうしたらいいのか、忘れないように生きていこうと思いました。
 

 


 


NY さん

バケモンの涙

一体どんなお話なんだろうと読み始めたこの物語。一字一句見逃せない本でした。読書時、通常自然にしている流し読みができないのです。朗読するかの如くゆっくり読み進みました。そうです、まるで自分自身に読み聞かせるかのように。ハッと気がつくとその都度、本の世界に引きずり込まれていました。

時間をかけて その時間をこの上なく大切にして読まないとならない。この本はそういう本です。最中胸に熱いものがこみ上げて何度目頭が濡れたかわかりません 数えられません。
平素滅多に人間の織りなすストーリーで泣いたりしない自分が、終わりの章に近くトシ子さんが慟哭する場面で同じ位 いいえ もっとかも 嗚咽するほど泣いてしまいました。 
 
不覚にではなくごくごく自然に・・・ 涙で前が見えない しゃくりあげながら読んだ本は今まで後にも先にもこの本だけです。
重い内容の流れの中に、著者独特の奥深く温かすぎるほどの優しいユーモアがそこここに溢れていて、涙を止めることができなくても安心して読み進んでいけたように思います。

トシ子さんという主人公を通して彼女と同じ位著者が私達読者に伝えたかったことを、是非受け止めて頂きたい。
戦争を知らない若者だけでなく戦争を経験した人たち、経験はしておらずとも戦争の悲惨さを切実に聞いてきた人たち、日本人として生まれた人たち全員に読んで頂きたい。そんな一冊です。

主人公トシ子さんと同じ時代に生きた何千、何万、いいえ すべての人たちに各々悲しい物語があったはずです。

戦争。

全てを奪い、全てを無くさせ、筆舌に尽くし難い傷を心に、そして身体にも負わせてしまう闇深い怪物。私達は一丸となって、この怪物が近づかないようにするだけでなく、この世界からその存在をなくさねばならない。勇気を奮い立たせ力を合わせて立ち向かわねばならないという、当たり前でも忘れられている現実をはっきり浮き彫りにしてくれた素晴らしい本でした。

最後にこの本を上梓してくれた著者歌川さんに伝えたい。
Thanks a lot! You are an awesome guy.
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。敗戦から75年、私ももちろん、日本人のほとんどが戦争の悲惨さを体験していないという時代になりました。本作の執筆にあたっては、銃後にあって空襲や疎開を体験された方の膨大な数のインタビューを読んだり見たり聞いたりしました。どうしたら、この人たちの体験を伝えていけるのだろう、時代が変わるたびに、伝え方は変わっていくと思いますが、「いま、できること」を念頭に書きあげました。こんなにも受け止めてくださったこと、感謝いたします。
 

 


 

 

 : けいことてんちゃん
 
  その桁外れの行動力に
 
 
ブログで「いとはんのポン菓子」を拝見し、この作品はいつか書籍化されてテレビドラマになればいいのにと思っていましたが、小説という形でそれが実現しました。しっかりと取材を重ねられ、事実に基づいて丁寧に魂を込めて書かれた作品だと感じています。
 
私は広島の呉で生まれ育ったので、空襲や原爆のことを学校でも教わってきたし、身近な人から話を聞く機会もありました。しかし、我が身に置き換えて真剣に考えたことはこれまでなかったかもしれません。
 
トシ子さんが目の当たりにした、赤ちゃんをおぶったお母さんの助けを求める声と、背中の赤ちゃんが焼けている様を自分が経験したらいったいどうなっているでしょうか?
日本が戦争へと向かって行った要因は複数あったのでしょうが、それにより一体どれだけ多くの幸せが奪われてしまったのでしょうか?
戦争では多くの兵隊さんの命も奪われましたが、その殆どは戦闘ではなく餓死だったという事実も知りました。
 
戦火の中、トシ子さんは国民学校の若い先生で、食糧事情の悪さから栄養失調でゴリゴリに痩せて体に不調をきたしている子供達を何とか救いたい一心でポン菓子製造械を作るために奔走するのですが、その桁外れの行動力には敬服しかありません。
頭の中で色々思うことはあっても、それを行動に移すことは容易ではありません。だけど、今思いつくこと、出来そうな事をまずやってみるということがとても大切なんだと思います。トシ子さんも無我夢中で行動しているうちにいろんな事が見えたり分かってきて、周りの人もその熱意に動かされています。
文中に「一念」という言葉がありましたが、人を動かす原動力は強く思う気持ちで、人は気持ちに左右されながら生きています。
 
また、トシ子さんはいい家のお嬢様で、いとはん(お嬢様)らしくしなさいと言われ続け、それに対して常に疑問を持っていました。
男らしくとか女らしくとか良く言われる事ですが、「〇〇〇らしく」は自分自身で決めることだと気付いています。
 
トシ子さんが暮らしていた大阪の八尾と、ポン菓子製造機を造るために行った北九州の戸畑は広島からは少し遠いですが、どちらも馴染みがある地名です。
私は用事で毎月奈良まで出掛けますが、広島から新大阪駅に着いたら昨年全線開通したおおさか東線で八尾の久宝寺駅まで行き、そこから奈良行きの電車に乗り換えます。作品中の久宝寺と久宝寺駅という駅名はきっと何か関連があるのでしょう。自分で調べてみようと思っています。
戸畑は私自身は行ったことがない土地ですが、今は亡き父が十九~二十歳、丁度とし子さんと同じぐらいの年頃に仕事で赴任した地で、よく「戸畑にいた時に・・・」と昔話を聞かされました。
 
小学生だった頃、当時住んでいた団地内の公園にポン菓子売りのおじさんが来たことがあります。
確か母と一緒に小さなビニール袋にお米一合位と500円持って行き、出来上がったポン菓子は黒い大きなポリバケツ用のビニール袋に入れてもらって帰った記憶があります。
「たったあれだけのお米がこんなに大きくなっちゃうの?」とびっくりした事を今でも鮮明に覚えています。正にバケモンです。
自分自身の事や思い出と重ね合わせても感慨深いものがありました。あの時のポン菓子製造機も、とし子さんが苦心して作りあげたものに違いないのでしょう。
 
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。敗戦から七十五年が過ぎ、戦争の記憶を持つ方が年々減ってきて、私が語り継げることはなんなのか考えるようになりました。広島の方々は「戦争当時の話を語り継ぐ」意識は、日本一高い方々だと思います。実際、世界中から戦時の日本を偲びに人々が訪れています。そんな広島の方に、戦時を我が身に置き換えて考えてみるきっかけになったと言っていただけて、書いてよかったと思えました。感謝します。
 

 


 

 

 : AUさん
 
  今だからこそ多くの人に読んでもらいたい
 
バケモンの涙、読了。
まず最初に驚いたのが、戦時中には穀物を炊いたりする燃料すらな かったというところ。そしてそのために子どもたちはごはんを食べ ても消化できずに亡くなってしまっていたということ。太平洋戦争 中の物語はこれまでいくつか見てきたけれど、食べる物がほとんど ないということは語られていてもこういう描写は今までなく、 この本を読んで初めて知ったので驚いた。

で、そんな状況を見かねた学校の先生である主人公のいとはんが、 ポン菓子を作って子どもたちを飢餓から助けようというのがこの本 のストーリーなのだが、これが実話だというのがまたすごい。
いとはんが世間知らずゆえの無鉄砲さで目的のために突っ走ってい くのは爽快感があり、またその無鉄砲さゆえに壁に突き当たったと きには多くの人の助けを借りながら問題を解決していく様子は、ま さに帯にある通りに感動の実話であったと思う。

世間がコロナ禍で自由に外へ出ることもはばかられるような、ある 種戦時中さながらの様相を呈している今だからこそ多くの人に読ん でもらいたい一冊です。
あと読んでいて朝ドラみたいだと思ったので、映像化するならぜひ NHKの朝の連続ドラマにしてほしいなと思いました。

素晴らしい作品に触れる機会を与えて下さった歌川さんに感謝いた します。
 
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。本気の一人が世の中を変えていく様を描き、多くの人と共有したくて、チカラを振り絞って書きました。そんなところを受け止めていただいて、幸いです。
 

 


 

 

 : れもんみるくさん
 
  トシ子さんと同じ年齢の私
 
 
たくさんの逆境を乗り越え、子供を救いたいという一心でポン菓子 作りに挑んだトシ子の生き方に強く惹かれました。

  トシ子の熱い想いで周りの人の心が動く瞬間がとても好きでした。 たくさんの魅力あるキャラクターが登場しトシ子の生き方に影響を 与えていて、人は1人では完成しないということを痛感しました。 自分の信念はもちろんですが、たくさんの人の考え方にも影響され ながら自分という人間が出来上がると私は思います。
トシ子も同じで、恐らく1人では自分の意思だけではどうにもでき ないことがたくさんあったはずです。そのとき助けてくれたのは周 りにいる人々でした。素敵な仲間と共に夢を叶えたトシ子は輝いて 見えました。

 教え子が亡くなったり、空襲により目の前で人が死んでいく、そ んなたくさんの悲しい思いがありながら自分の信念を貫いたトシ子 は、とても強い女性です。 私は19歳で当時のトシ子と同じ年齢です。もしトシ子のような生 き方ができるかと問われたならば、確実に答えはNOです。
私は、 トシ子のように強く生きる自信もなければ行動力もないような人間 です。しかし、この本を読みトシ子のように芯のある強い女性に自 分もなりたいと憧れを抱きました。 
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。主人公と同じ年齢で読んでいただけたとは、嬉しい限りです。「強さ」とは、全然ないように思えても、ひとりひとりの中に眠っているものだと私は思っています。もちろん、それぞれのいろいろな「強さ」がです。自分の中の「強さ」を、どうか信じて、素敵な大人になってくださいね。
 

 


 

 

 : 紫葉さん
 
  自分らしさとは
 
 
≪物語の舞台は太平洋戦争≫
 
主人公のトシ子さんは、目の前で亡くなっていった子ども達・飢餓苦しむ子ども達の事が頭から離れない。
幼い頃の甘い思い出。「バケモンの涙」で皆を救えないだろうか…。
 
思い立ったが吉日。なトシ子さんには沢山の壁が立ちはだかるも、持ち前のバイタリティーで徐々に周囲を惹きつける。読者である私も惹きつけられた。
そして一歩進んでは下がり、希望や絶望・挫折を味わいながらも着実にプロジェクトを進めて行く。
 
≪感想≫
 
戦争について私達が真剣に考え直さなくてはならないと同時に、もう一つ重要なキーを握っているであろう「自分らしさとは?」にも焦点を当てて読んで行くと、私達がこれから生きて行く上での大事なヒントを頂けるのかもしれない。
 
作中で何度か出てくるトシ子さんの感情…。
・「私らしいってなに?」
・「このまま何も出来ずに人生終わるの?」
・「周りが望む‘‘私らしさ‘‘」を自分は望んでいるのだろうか…。
と言うような、誰しもが一度は考えるであろう「自分らしさ」。
周囲から見れば恵まれた家庭に生まれ育ったトシ子さんだが、人知れずに味わっていた孤独や決められた人生のレールを解く為の戦いなど、「自分らしさ」についても非常に考えさせられ、勇気を頂ける。
 
そして本作ではみんなが子どもの頃、当たり前の様に食していた「あの甘い食べ物」のルーツを背景と共に知る事が出来る。
非常に読みやすい文章や構成なので、サクサクと読めてしまうからこそ作中で感じる強い痛みもストレートに突き刺さる。
 
私は職業柄、戦争を経験された方とお話しをさせて頂く機会が多いのだが、
皆さん口を揃えて仰る言葉。
「戦争だけはやっちゃいけない。」
 
ステイホームの今、戦争について再度考える事、いま私に出来る事・やらなくてはいけない事とは何だろう…。
等々、色々な思いを馳せながら。今年はあの甘いバケモンの涙を「いただきます。」
 

 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。さまざまな角度から読んでいただきまして、非常に嬉しいです。主人公トシ子さんは、経済的には恵まれていたけれど、孤立感や欠落感をずっと抱え続けていました。だからこそ、巻末の結論にたどり着くことができたのかなぁと考えています。そんな彼女の思いを受け止めていただき幸甚です。
 

 


 

 

 : N.Oさん
 
  ポン菓子にこんな重厚なエピソードが
 
  戦争で人が死んでいくシーンが凄惨でリアリティがあった。 今の時代を生きるわれわれには戦争を繰り返さない義務があると思 う。
 
  ポン菓子にこんな重厚なエピソードがあるとは知らなかった。ポン菓子は幼い頃数回食べた記憶しかないし、今の時代にはもっと華やかなお菓子が安価で手に入るけれど、この話を知った後だとポン菓子が特別なものに思える。久々に食べてみたいなと思った。

 
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。戦争になって、食糧の輸入がいままでのようにできなくなったら…食糧の自給率が40%の日本は、どうなってしまうでしょう。戦争を繰り返してはなりませんね。
 

 


 

 

 : A.Sさん
 
  トシ子さんの生き方に触れて
 
 どんなことがあっても、生き延びてみよう、生き延びようとしよう。これが、私がトシ子さんの生き方に触れて心に刻んだことです。

 この本を読み、第一に衝撃を受けたのは戦争下で生きることです。まず食べ物がない。いつ空襲があるか分からない。家族など大切な人の命がいつなくなるか分からない。それだけなく、自分の命がなくなってしまうかもしれない。そんな状況は、今の私には想像してもしきれません。ましてや、食べることが大好きな私は、毎日満足に食べることができないなんて耐えられない。
 
 たしかに、いつ事件や事故に巻き込まれるか分からない世の中に私たちは生きています。今は新型コロナウイルスが猛威をふるっているので、もしかしたら感染して命を落とすことがあるかもしれません。不治の病にかかることだってあるかもしれません。しかし、それはあまり想像していない未来の話で、私は自分の命が急になくなることはないのだろうな、と思っています。だから、戦争の中で生きているというのは、命を強烈に感じることなのだろうなと思います。 
 人が亡くなる、ということを私はあまり経験したことがありません。だから、親しい人が亡くなったときの気持ちを私はよく想像しきれませんが、きっと心がぐちゃぐちゃになってしまうのだろうなと思います。そのようなことが半ば日常的に起こるなんて…と思うと、正直信じられません。
 

 そのような状況下だったこともあるのでしょうか。トシ子さんの「ポン菓子製造機を作る」という信念は固く、強いものでした。「ポン菓子製造機を作るためなら何でもする」弱音も吐かず、やりたくないと泣き言を言うこともない姿は、とても強く見えました。自分の信念に突き動かされた人は、ここまで強くなれるのでしょう。

 私は今大学4年生です。すでに成人こそしていますが、衣食住に不自由なく生活していて、守られた存在だと思っています。のんきに生きているという自覚もあります。けれど、だからといって楽で、何の気がかりもなく生活している訳ではありません。自分はこれからどうしていったらいいのか。同級生と自分とを比較して、なんで人ができることを自分ができないのかとくよくよしたり、焦ったり、落ち込んだりします。ふと、このまま生きていってなにかいいことがあるのかな、と途方に暮れるときもあります。
 死んでしまおうという気持ちはないけど、生きようという気持ちもない。恵まれているからこそ生まれてくる気持ちではあるのでしょうが、私は生にやる気がないまま日常をだらだら過ごしていたような気がします。
 

けれど、トシ子さんの生き方に触れ、背筋が伸びる思いがしました。そもそも命がある、食べ物があるということは当たり前のことではない。それを自覚するだけでも、いまの日常が少し輝いて見えます。私はトシ子さんのような信念を今すぐ持って生きることはできないと思います。けれど、今ある日常に感謝して、前向きに生き続けていけば何かあるかもしれない。そんな気持ちにさせてくれました。
正直なところ、これからの社会が明るいものにはあまり思えません。新型コロナウイルスの影響しかり、これから大丈夫なのだろうかと思わされることが日々起きているのが、私にとっての今の世界です。けれど、死なぬように生きぬようにではなく、生きてみよう、生き延びてみようと思っています。
 
自分の未来に陰りが見えたとき、またこの本を開いて、トシ子さんの生き方に触れて自分を見つめ直したいと思います。

 
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。現代を生きる若者に置き換えて考え、受け止めてくださったことがとてもうれしいです。若者時代はさして感じないことが多いんですが、中年以降になると「ああ、生きてるだけでも大変なことだな」と思うことがけっこうあります(笑)。将来、そんな日が訪れたら、また本作を思い出していただけたら幸いです。
 

 


 

 

 : A.Oさん
 
  幼い頃に見たポン菓子
 
 
 私は小学生の時に一度だけスーパーの駐車場でポン菓子売りを見た ことがあります。初めて見る大きな機械が不思議でした。母は懐か しいと言っていました。でも、食べきれないからと買ってはくれま せんでした。二年ほど前、母の職場の方がスーパーで売っていたポ ン菓子を買ってきてくれたので初めてポン菓子を食べました。母も 子供の頃にお米を持っていって機械で作ってもらった出来立てを食 べたことしかなく、スーパーで売られていることは知らなかったそ うです。食べた感想は美味しかったけど量が多すぎて困りました。 食べきれないと言った母の言葉通りでした。

 「バケモンの涙」を読んで、ポン菓子はトシ子さんという一人の女 性が戦争中の食糧難を救いたい気持ちから作られたことを知りまし た。私が食べたポン菓子を作るのに、どれだけのお米が必要なのか わからないけど、少しのお米が膨らむのなら、多くの方のお腹を満 たすことが出来たでしょう。
  戦時中、戦後の食糧難を救い、そして 結果として同時に復員兵に仕事を与えることとなったのは、とても 素晴らしいことだったと思います。でも正直いってあの時代だった からこそポン菓子は受け入れられたのではないでしょうか? 今の時代の子供達は、いわゆるジャンクフードに慣れてしまってい て、ポン菓子では物足りないと思います。それが残念ながらポン菓 子が消えていった原因ではないでしょうか?

 今、コロナ渦で世界的に不況になりそうです。ポン菓子に救われる 時代にならないことを祈ります。 
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。ポン菓子は、チョコレートに入っているライスパフや、ナッツなどと一緒にキャラメルで和えたスナックバーなどに形を変えて、現在でも食べられています。そんなお菓子と出会ったら、「ああ、これもポン菓子なんだな」と思っていただけたら嬉しいです。ジャンクフードを子どもに食べさせたくないという親御さんも増えていますから、自然派食品として見直されてくるかもしれませんね。世界的な不況はもはや免れない状況だと思いますが、本気のひとりが大勢あらわれて、状況を打破し、歴史に燦然と輝いてほしいです。
 

 


 
歌川たいじ:
有り難うございます。本書を書くにあたって、悲しく美しく展開しハッピーエンドに着地する話に終わらせてはいけないと、強く思いました。戦地だけでなく銃後の人間がどんな目にあわされたか、その一部を遺しておきたいと思ったのです。受け止めていただけて幸せです。

 


 

 

 : KCさん
 
  人物の表情が浮かんでくるよう
 
『バケモンの涙』、読ませていただきました。
以前に、ブログの方でも「いとはんのポン菓子」を読んでおりましたので、あらすじは知っていましたが改めて、実に、良いお話だと思いました。「良いお話」とまとめてしまうと、なんだか軽くなってしまいますがまだ他の表現が見つかりません。すみません。
 
「朝ドラのようだ」と感想を述べておられる人が多いようですが、私も、同感です。登場人物が、それぞれにくっきりと輪郭を持っているからでしょうか。文中の会話を読んでいると、人物の表情が浮かんでくるようです。
トシ子さんが魅力的なのはもちろんですが、私には、芳乃さんやツタ代さん、それにサト子さんが非常に心に残りました。
特に、人間や社会というものを知り尽くし、それでも情を失わなかった芳乃さん。彼女から来た手紙には「達筆で美しい文字が躍っていました」ということでもしかしたら、芳乃さんも、きちんと教育を受けた良い家柄の出の人だったのではないかと想像したりしました。
 
子供のころに時々食べていたポン菓子。あのポン菓子が食べられるようになるまでにはこんな素晴らしい方々のお心とご尽力があったとは、まったく知りませんでした。教えて下さって、伝えて下さって、どうもありがとうございます。
 
きっと、吉村利子さんのように、「人のためになんか」して下さっている方々が今もたくさんいらっしゃることと思います。大きいことも、ささやかなことも、ひとつひとつ。
 
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。芳乃さんは、非常に思い入れたキャラクターです。書けなかったバックストーリーがものすごく多い人物なので、さまざま想像を膨らましていただいて嬉しいです。
 

 


 

 

 : YTさん
 
  語り口調で読みやすい
 
今日一気に読ませて頂きました。
とても感動的な良い小説で涙で鼻水ぐじゅぐじゅになりながら読みました。書いて下さり、ありがとうございます。

トシ子の語り口調で進む展開は読みやすく、大阪弁の所は何度も推敲されたのでしょう、大阪出身の私でも何の違和感もなかったです。むしろ昔風の丁寧な大阪弁で良かったです。

所々ユーモアもありましたが、戦時中の実話を元にされたお話は読むのが辛くなる箇所もありましたが、トシ子さんの信念、周りの皆さんの尽力でポン菓子機械の製作ができたんですね。芳乃が父に語ったトシ子評、芳乃は鋭いと思いました。
欲を言えば戦後のポン菓子機械の活躍をもっと知りたかったです。
沢山の方が言われてますが、私も映像化希望します。映画じゃなく、朝ドラで。

本の装丁・装画、とても素晴らしいです。抑えた色調のピンクがとても良いです。本当にありがとうございました。これからの活躍も楽しみにしています。
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。なるべく幅広い年齢層の方々に広くお読みいただききたいお話でしたので、読みやすさに関してはかなりがんばって書きました(汗)。カナダからご感想をお送りいただきまして、心から感謝いたします。
 

 


 


:あきちゃん


共感して読めました

まだ若い先生のとしこさんが、壮絶な戦争体験したことを、是非映画にして欲しいです。
爆弾の恐ろしさ、戦争ってこんなものだ、と言う事が、文章を通してすごい表現で書いてあり、 目を背けたくなる想像をしてしまいそうでも、続きが気になり読みました。
文章の表現をリアルに映画で表現することはNGなこともあると思うので、今の子どもたちにもっと読んでもらうために、課題図書や、図書館でおすすめしてもらいたいですね。

としこさんが外国みたいな北九州であのポン菓子を作ったこと、今の北九州のことも恥ずかしながら知りませんでした。
色々知れて良かったです。としこさんは、同じ教育に携わっている人で、こんな時代は私には想像もできないけれど子どもに対する熱い想いは私も同じ同じって思いながら読んでました。
 
途中、芳乃さんが自分はもっと構ってもらいたかったから自分と思って子どもに接しているんだよと言うところも、そして、としこちゃんのお嬢様だからって人に言われていて殻を破れなかったところも、私も厳しい父の顔色伺いながらで自分がしてもらいたかったことを子どもにしていたのかな、なんか共感して読めました。なんか自分を見たようでスッキリもしました。
 
一念を大切にしてきて、タイミングがきて本気になると周りが変わる、そして奇跡が起こる。どの時代も大切なことだと思うのでたくさんの人にシェアしたいし、福岡の人にも伝えたいですね。
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。トシ子さんの子ども時代は、経済的な苦労こそなかったものの、親の愛情には恵まれませんでした。どことなく欠落感があったと思います。だからこそ、真剣に自分と向き合うこともできたのかもしれません。そんな部分を共有していただき、嬉しかったです。
 

 


 


:きのこ


今の日本があるのは

大正生まれの私の祖母も強い強い人でした。
あの時代の人たちは皆、様々な事に耐え、色んなことを諦め、絶望 し、それでも希望を持って昭和、平成、令和を生き抜いてこられま した。
今、私たちは平和な日本に暮らせています。
今の日本があるのは想像し難い苦しみの中を生き抜いてこられた方 たちの涙の上に成り立っていることを忘れてはならないと思います
祖父や祖母が生きてくれたからこそ、命は続いてきました。
この本を読み、インスパイアを受けて作った作品です。
孫、曾孫の手を合わせる祖母の手です。 
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。戦時を生き抜いた方々、そのあとの経済復興のために身を粉にして働いてこられた方、それらのご苦労を忘れてはならないですね。その上で次世代になにが遺せるか、また遺してはならないものはなにか、私も考えていきたいと思います。作品は、イラスト部門にもエントリーさせていただきますね。
 

 


 
歌川たいじ:
有り難うございます。この話を日本人が知らないなんて…戦時中の話として忘れられてしまうのはあまりにも勿体ないと思い、使命感みたいなものに駆られて書きました。受け止めていただけて嬉しいです。

 


 


:はるママさん


バケモンの涙が教えてくれたこと

主人公のトシ子さんは、『いいとこのお嬢さん』。機械が好きで、実験が好きで、弟たちの面倒をよく見る元気な女の子。がんばって勉強して、学校の先生になって、大好きな子どもたちに楽しく教鞭をとることができるはずだった。
第二次世界大戦が始まるまでは。

戦争が始まると、すべての日常がなくなった。子どもたちは、食料不足でごりんごりんに痩せていく。『いいとこのお嬢さん』ができることはなくて、守ってあげられなくて。生活が困窮するだけじゃない。父親や、家族が兵隊に召集されて、おとなも子どもも敵の攻撃に無力に傷つけられる。

自分にできることは?子どもたちに食べ物を届けたい。
その一心で、家を出たトシ子さん。
ここから一気に舞台は大阪から北九州へ。

このお話に出てくるのは、トシ子さんを育ててくれたおばあさんや女中さん。いつも笑わせてくれる教師仲間。敵であるはずの、お父さんのお妾さん。見ず知らずの北九州でお世話になったお宅には、トシ子さんを受け入れない子や、やる気なく働く職工さんたち。
トシ子さんの熱い思いは、まわりの人たちを本気にさせて、真剣に向き合う関係に変えていきます。そこで見えてくる相手の事情や本音。本気だからぶつかるし、伝わることがある。いまの社会にとても必要な事だと思います。

子どもは宝。
子どもを守れない世界に未来はない。
 
子どもたちのために、誰かのために、ってものすごいパワーになる!ひとりじゃできないことも、協力者が多ければ想像以上のことができるし、喜びはもっと大きくなる!
 
今回のコロナ禍のなかで、子どもたちにできることをずっと考えてました。私ひとりでは何もできないけど、おとなが手をつなげば、きっと子どもたちの笑顔をもどせると思います。これからの未来だって、今よりよくして、子どもたちに残してあげたい。
 
この本を読んで、たくさん泣いて、たくさん元気をもらってたくさん笑った。
トシ子さんがまだご健在なうちに、このような形で本にしていただいた歌川さんに心から感謝します。ありがとうございました。
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。この話を執筆したのは昨年なので、新型コロナ禍の前だったんですが、今年に入って「今の状況と通じるところがたくさんあるなぁ」と感じました。どちらも日本(世界)未曾有の危機だからでしょうか。そんなときにいちばん考えなきゃいけないのは、子どもたちの未来であると、私もそう思います。
 

 


 


:K・Mさん


本気になった人は人の心を動かす

戦争に関する書籍は今までも沢山読んできました。そこに共通して 書かれていることは飢えというものは、人から余裕を奪い、 耐え難い辛さであるということでした。

主人公のトシ子は子ども達をその飢えから救おうと人生をかけて動 いた女性でした。当時の若い女性が、製鉄所のある北九州に単身乗 り込みポン菓子の機械を作るということは、 どれほどの覚悟があったことでしょうか。
トシ子の周りには、ヤエさん、おばあさん、芳乃さんなど…様々な 女性が現れますが初めは「出来るわけない!」と反対します。 それは、きっと普通に考えると無理な目標をトシ子が目指したから 。しかし本気なった人間は人の心を動かします。
最終的には皆応援してくれて、トシ子はやり遂げます。

私は現在大学生で、教職に就くことを希望しています。子供達に「 一見無茶なことで、親や先生に反対されても、本気で取り組むとで 周りは変わる。それまで本気で頑張りなさい。」 と伝えていきたいです。
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。戦争の悲惨さを描く物語は、おっしゃる通り数多くあって、もちろん名作もあります。今回は、どんな状況でも最善を尽くそうとする人の美しさを表現したくてこの物語を書きました。受け止めていただいて嬉しいです。
 

 


 


中澤哲也さん

 
第二次大戦中、飢えた子供にお腹いっぱい食べさせたい、誰も餓死させたくない、という一途な気持ちだけで、当時日本には存在しなかった「ポン菓子製造機」をゼロから作り上げようとした人物がいた。
 
大阪の旧家で生まれ育った19歳の女性が自らの人生を切り開く生き様を、歌川たいじ氏が実話を元にしたフィクションとして小説化した作品です。
戦時中という時代背景、子供たちが飢えと戦禍で次々に亡くなって行くという物語の成り立ちから、重い内容かと捉えられるかも知れませんが、周囲360°の逆境を跳ね返す主人公トシ子のバイタリティに読んでいて映像が自然に浮かび、ぐいぐい背中を押されるように読み進めさせるエネルギーも内包され、エンターテイメント性にも優れています。
 
「朝ドラの原作になって欲しい」と願う読者は、私を含めて数多い事でしょう。ですが、この作品の本質は、一人の主人公の成功譚ではありません。一人一人の命の大切さ、より良く生きる事の必要性を訴えているのです。帯にある、小説内でたった一行記されただけの「みんな、生きたい」という言葉が、心を揺さぶります。
 
戦争という状況を時代背景として描いていますので、子供や赤ん坊の悲惨な死もそこにはあります。具体的に記された哀しい内容から、これは「反戦小説」とカテゴライズされる事もありましょう。
しかしそうした点も含めて、私は「バケモンの涙」を優れた「人間賛歌」なのだと感じました。そして、それこそが今作の際立った個性であり、また歌川さんの作品全体に流れる価値観なのだとも思います。
 
「バケモンの涙」を、私の周りの家族や友人という大切な人々に読んでもらいたい。純粋にそう想える作品なのです。。 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。私はどんな話を書こうとしても、「自己否定」を乗り越えて「自己肯定」にたどり着く話に着地しちゃうんです。たぶん、それ以外にあまり興味がないんでしょうね(笑)。それを「人間賛歌」と評価していただけたこと、非常に嬉しいです。
 

 


 


:えんみさん


美しい人間たちが必死で生き抜いた世界

ゆっくり時間をかけて読みたくて、本が届いてからちょっと時間が 経ってしまいました。

これは、硬い鉄でできた優しい「バケモン」の物語ですね。

出てくる女性たちの、何て強くて温かな事!
主人公のトシ子は勿論、根本先生やサト子さん、ツタ代さん…挿絵 も無いのに魅力的な女性の顔が浮かびます。
芳乃やトシ子の実母等、最初はマイナスなイメージを持ってしまう 女性も、ちゃんとトシ子を導く言葉を残してくれています。勿論、 トシ子がその言葉を真っ直ぐに受け止められる誠実な娘だった事も 大きいのでしょうね。
厳しいお祖母さまやヤエさんの育て方は、きっと間違って無かった んでしょう。

芳乃とお祖母さまが泣きながらポン菓子を食べている場面、トシ子 じゃなくても見たくて堪りません!

女性たちに輪をかけて魅力的なのは、トシ子の周りにいる男性たち です。
修造さんを筆頭に、許婚だった勇作さん(彼は本当に、トシ子が好 きだったのでしょうね)も素敵だし、郷土愛溢れるインテリの三浦 さんなんか、もっとたくさん登場させて欲しかったくらいです。
勿論、ぐうたらな職工さんたちも良いですし、真田翁や天野教授と いった老紳士も好きです。

そんな、美しい人間たちが必死で生き抜いた世界…でも、醜い戦争 を起こしたのも又人間なんですよね。
でも、自分以外の誰かが悪いんだ!ではなく、トシ子のように自ら 人のために動いていける人間にならなくてはいけないと、 とうに半世紀以上を生きた自分も思いました。

何となく、トシ子が三浦氏と結ばれないかなー…なんて思っていま したが、それは無かったようですね。
あの職工さん、姓は出てこなかったけれど
トシ子のモデルである方の名前を見ると、多分あの人と結ばれたの でしょう。

昔の兵隊さんの写真を見る事が有りますが、ハッとする程凛々しい 美男子だったりします。
日本男性はやはり短髪が似合うと思うんですよね。
感想文だけではなく、イラストも募集されているので、皆さんの描 かれた魅力的な登場人物の絵を私も楽しみにしております!

最後に「ポン菓子」について私の思い出なんですが
駄菓子屋さんに、ニンジンの形の袋に入ったポン菓子が売っていて 、姪がそれを大好きだったんです。
「ジィジ、ニンジン買って!」
頼まれた私の父は、八百屋で人参を買って来ました…
一昨年、父が死んだ時に真っ先に思い出したのが、この事でしたっ け。

素敵な小説でした。ありがとうございます!
 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。歌川作品には必ず「天使すぎる」男が登場すると、ある読者さんから言われました(笑)。私の歴代の担当さんはすべて女性なんですが、担当さんたちみんな「天使でいいじゃないですかーーーっ」と言ってくださいました。これからもきっと、天使を生みだし続けちゃうと思います(笑)。
 

 


 


西川 麻実 さん

 
この小説は、吉村利子さんという実在の人物の若い頃をベースにした物語だ。小さな頃に、桃の節句には毎年薄いピンクや緑に染められた雛アラレを食べるのを楽しみにしていたが、あれは、米を膨らませたもので、「ポン菓子」の一種だそうだ。その「ポン菓子」製造のための「穀類膨張機」の国内生産に奮闘した、20歳そこそこのトシ子。大阪のいところの「いとはん」で、国民学校の訓導である。
 
時は敗戦色濃厚な昭和20年…トシ子は突き動かされるように穀類膨張機の生産を志す。それは、教え子たちに消化のよいものを食べさせたいという思いからだった。トシ子の、人のために自分が何かできることはないかと、もがく姿勢が、周囲の人の心に火をつけていく。
 
読んでいる私の中で、トシ子の心の火が、トシ子がポン菓子製造機を作るために転居した北九州の、製鉄の火と重なる。私は川崎の臨海部で、火力発電で夜に赤く染まる空を見て育った。また、実際に工場見学で日本鋼管の溶鉱炉、真っ赤に溶けた鉄の濁流も見た。近所には下請けの中小工場も多く、鉄を加工する唸りや、火花が飛び散る光景は日常だった。その原風景が立ち上る。トシ子の心の火が私にも移ったみたいだ。
 
私は、今まで、自分のためだけに生きてきた。サービスマンとして働いてきて、職業柄、人に接してきたが、それは自分の食い扶持を得るためだし、家族を細々と世話してきたが、それも自分の住処を得るためだった。そして、そのことに何の疑問も感じておらず、人が人のために何かを出来るなんて、幻想だと思っていた。
しかし、人は人のために何か出来るのではないか?と、生まれて初めて思った。例えば、マザー・テレサのような、高貴な魂を持った数少ない人は、人のために何かができるだろう。しかし、私のような俗な魂を持って生まれてきた者には、人のために何かをすることなんてないだろう、と思っていた。
 
しかし、この本を読んでいるうちに、そんなこともないのではないか、と思うようになっていた。私のような者にも、人のために何かをする機会はあるのかもしれない、私の心に火がともる日もあるのかもしれない。そう思える作品であった。
 
自分の人生を生きて、自分の幸せを追求してきたつもりだが、40歳から長いミッドエイジクライシスに入り、出口が見えない日々を過ごしている。幸せというのは空疎なもので、掴んだと思ったらこぼれ落ちる。手からこぼれ落ちるキラキラとした影、幸せだった時間の思い出を寄せ集めて、「幸せな人生」を作っていくのかな、と思っていた。
 
このどこかスカスカした感じは、心がしんとした感じだからだとは思っていたが。心が熱くならないのは、自分のことしか考えていなかったからかもしれない。人のために、と思えた時に、心に火がともるのかもしれない。 

 

歌川たいじ:
ありがとうございました。「いままで自分のためだけに生きてきた」とお書きになってますが、自分でそう思える人って、必ず誰かのためになにかができる人だと思う(少なくともご感想をいただいて私は勇気づけられました)し、すでに誰かのかけがえのない人になっていらっしゃるんじゃないかと思うんですよね☆
こんなに作品の意を深くまっすぐ汲んでくださる方なんですから、そう確信します。
 

 


 


:オッカー久米川さん


「バケモンの涙」を読んで

この物語を読みながら、いろいろな世代の、いろいろな境遇の女性 たち(女性に限ら
ないかな~?)に、共感している自分を感じました。例えば、子ど もの頃のトシ子に
同情しながら、ヤエに共感したりするのです。

それは、全編通して、感じていたことで・・・そこに矛盾があって も、一人ひとりを
見てみれば、ついつい、共感してしまうのです。そして、胸が締め 付けられ、泣くの
ですが~。

登場人物は、それぞれが違った人間で、いろいろな事情を抱えて、 いろいろな価値観
を持って、一生懸命に生きている人々だと思うのです。でも、そん な人々は、戦争と
いう一点で、共通の苦痛や不安を抱えていて・・・

そんな中でも、大切なものを守ろうとする心や、微かな希望の灯り を、消さないよう
に、頑張って生きている訳で、一人ひとりの登場人物に、読者の私 たちも、共感して
しまうのかも知れません。

そして、こどもたちにポン菓子を食べさせたいという願いは、登場 人物たちのみなら
ず、いつしか、読者の私たちの願いにも、なっているのではないで しょうか。

個人的な話ですが・・・私にも、ポン菓子の原風景(?)があって
4歳頃だったか、作物が植わっていない畑の中(空き地?)に、ポ ン菓子屋さんが
いて、子どもも集まっていて。私は、「いいなぁ~」と、思いつつ 、母に連れられて
いたので、そばには行けませんでした。バーン!と、鳴る音も、恐 いのですが・・・
煙(水蒸気?)と、甘い香りを、思い出します。

因みに、私は、長らく、ポンポン菓子と呼んでいました。

 

 

歌川たいじ:
ほとんどの人が、生きていくだけで精一杯だったんだなぁと、資料を調べれば調べるほど感じました。その中でも「自分らしさ」を失わない人もいたんだなぁとも。そんな作者の心を読み取っていただいたような気がしました。
 

 



 

 
歌川たいじ:
私も戦争を知らずに育ちましたが、戦争の痛みを共有できるよう、あえて生々しい表現も入れました。美しく悲しい物語で終わらせるべきではないと。お子さまにも将来共有していただけたら、本当に嬉しいです。有難うございました。
 

 


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#バケモンの涙 #チャレンジ 私がポン菓子を食べたのは子供のころ。 ◯十年前。 駄菓子屋でニンジンという名前だった。オレンジ色の袋に入っていて、緑の部分は葉のように止めてあった。 細い先を切って口に流し込んだり、袋開けてちびちび食べたり。甘くてサクサクしてあって言う間に食べていた。 そんなポン菓子の機械が作られた背景はこの本を読むまで全く無知だった。 戦時中の食糧難を救いたいというトシ子の思いは戦時中の子供だけだけでなく、戦後70年以上が経った今も、海外にまで繋がっている。 ポン菓子の機械を調べてみると、今は小型化が進み、アフリカにも渡っているらしい。アフリカの食料難の地域で活躍しているらしい。 トシ子が命を吹き込んだポン菓子は今は日常に当たり前にあり、誰かの命の一部になっているのだ。 私が小さい頃に食べていた"ニンジン"も、おやつとして命の一部だったんだと思うと不思議な気がした。 今度、駄菓子屋に行ったら探して見て子供達と食べながら、ポン菓子がどうやって作られたのか話して見たい。

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歌川たいじ:
私は「麦チョコ」のほうが馴染みが深かったんですよね、オトナになってからむしろたくさん食べてましたw 主人公モデルの利子さんは、90歳を過ぎても南太平洋諸国の貧困の子どもたちのために機械を提供し続けています。親子の対話の一助みたいな本にしていただけたら、本当に嬉しいです。有り難うございました。

 


 
歌川たいじ:
世の中を変えるものはすべて、ひとりの「一念」から生まれることを表現したくて、私なりに必死に書きました。受け止めていただいたこと、心から嬉しいです。有り難うございました。

 


 
歌川たいじ:
私もトシ子さんからお話を伺いながら、「戦時中だけの話じゃないな、これは。話が聞けてよかった」と思いました。